註釈マニアな私

註釈マニアな私

私は根っからの活字中毒であらゆるジャンルの本を読む。

しかしもちろん、その中でも好き嫌いはあり、歴史小説は好きだが時代小説は好まず、ミステリーじたいは好きだがどちらかといえば女性の探偵が活躍するようなものがよく、警察小説は苦手である。

というような好みがあるのだが、それとは全く別に大好きなものに「注釈」がある。

註釈でもよいのだが。それはつまり、本文を補足する意味で本の最後とか章の末に書いてある小文字で短い説明文のことである。

この代表たるものは古いものだが「なんとなくクリスタル」であろうか。あれはほとんど註釈小説といってよかった。そんなジャンルはないだろうが。

厳密に小説という部類でいうと、註釈がついているのものは少ない。註釈がついているのは専門書の類が多い。

一般に専門書というのは、言葉どおりなんらかの専門的分野についての本であって、興味のない分野であれば全くつまらぬシロモノのはずなのだ。

ところが、私は註釈を読むのが好きで自分の知らない専門分野であっても手をだしてしまう。

地理系や歴史系、物理とかの本でもいい。新書などのやわらかい解説系の本でもいい。そういう本をよくわからないまま読みながら、註釈を読んで「なるほどなるほど」などとひとり納得するのが楽しいのである。

正直、中身そのものはどうでもいいのだ。物理の本を読んだからといってにわかに物理好きになるというわけでもない。読み終わったらそれで終わり、ではある。

だけど読んでいる最中に註釈をめくりながら確認しながら読み進める感じが好きなのである。

これはかなり変わった趣味らしくて、今まで誰に話しても熱意ある共感をもらったことはない。でも、なんとなくクリスタルがあれほど売れたのは、しらない世相や年齢層を「註釈」をつけることで解説したあの手法ゆえではないのか。

誰もが「知らない」より「知っているフリ」をしたいものである。註釈はそのヘルプとして最適なのだ。

もともと歴史小説が好きなせいもあるのだが、それゆえに、偉い先生や学者が論文として発表しているような本が好きである。こういうのはもう驚くぐらいに「註釈」だらけだ。また「引用」も多い。どちらも私の大好物なのである。

中身は起承転結もない、あきらかに論文のまとまりであっても、註釈というスパイスのおかげで私はそれを噛み砕くように読むのが趣味である。

誰かと、「そうだよねぇ!」とうなずきながら互いに「この註釈がたまらん」という話をしてみたいものだ……。

神戸のお見合いパーティー

原発再稼働について

先日の連休中、テレビで大きく報道されていることがありました。新しい原子論を再稼働させることを受けて、原発反対の集いが代々木公園で盛大に開催されたのです。この集会を呼びかけたのが、著名人である坂本龍一さんや、ノーベル文学賞を受賞された大健三郎さんなどです。主催者側の説明によると、この日の参加者は17万人にものぼるといわれているそうです。

私は、この集会について事前に知らなかったので、テレビで報告を見るだけでしたが、原発に対する思いはこの集会に集まっている人々と同じ気持ちです。

もちろん電気をたくさん使えて楽に作ることができればそれに越した事はありません。しかし、どんなに経済が発展し国が豊かになっても、結局のところ一番大切なのは人の命なのです。自然の命なのです。私たちはそれを一昨年の東日本大震災で気付かされました。人もあっけなく一瞬にして命が奪われてしまうこの現実をどう受け入れていけばいいのか考えました。自分一人のことであれば無関心な人も多いのですが、私には二人の大切な子供がいます。子供たちの将来のことを考えると、また同じような被害が起きて原発の事故で放射能による被害がでることがとても怖いです。

坂本龍一さんが、たかが電気で生命をわざわざ危険にさらす事はないと訴えていらっしゃいました。この発言は、一部の報道ではいろいろな意味から批判をされていましたが、私は率直で非常にわかりやすいと思いましたし、全くその通りだと共感できました。

大きな工場や製造業なので使用する電力はとてつもなく大きいものだとは分かっています。生産性を向上させてたくさんの商品を作ることにより世界競争に打ち勝っていくのです。そして今まで日本はやってきたのです。突き進みすぎてこのような被害を出しても今なお、自分たちのやってきたことを見直そうという意識はないのかと悲しい気持ちになります。

世界で一番にならなくても、まず自分の国の個々の家族のこと、一人ひとりの命のことを優先的に考えてエネルギー政策を作っていくべきではないかと心から思うのです。

まだ震災の影響から立ち直っていなくて、福島第一原発も全く落ち着いていなのに、別の原発を再稼働させた日本政府の考え方には断固反対です。さまざまなこと調査したと言っていますが、いったいどれほど調査したのでしょう。結局のところ、人命よりも経済を回すことに重点を置いているとしか思えません。

また同じような事故が起こっても、誰一人明確な責任を取れる人はいません。責任を取ってもらっても仕方がないので、責任を取らなくても良いような安全な国づくりを今こそすべきだと思うのです。福島第一原発の事故は、とても大きな忠告だったと思うのです。苦しんでいる人はまだまだたくさんいます。その方々は、再起動した原発についてどう思っているのかと考えると本当に胸が痛みます。

私も、個人レベルで何かできるかわかりませんが、何かを起こさないことには何も始まらないので、子供の未来の為に次から少し動き出そうと思っています。


2012 註釈マニアな私